こんにちは、パフォーマンスラブリーのCoco(@performancelovely)です。
お酒をやめたと言えるのはいったいいつからなのでしょうか?
- 禁酒して1年たったからもうお酒はやめれたと言っていい?
- 胸を張って「お酒をやめました!」と言えるのはいつから?
- 一生断酒なんてちょっと悲しすぎるけど、実際どうなの?
こんな疑問をお持ちのあなたへ。
私自身は2017年から断酒を続けているので、すでに丸々4年は経っています。
でもですね、悲しいお知らせです。
アルコール依存症とは完治しない病気なのです。
残念ながらお酒を飲んだことがなくて飲まない人と、飲んでいたけど飲まない人とは別物なのです。
そう、断酒というのは一生涯続けていかなければならないライフワークのようなもの。
いま現在の私自身の位置づけは
アルコール依存症だけどお酒を飲んでいない人
こんな感じです。
いつでも戻れてしまう、数年経ってもそのひと口でまたスリップして逆戻り、そんなあやうい状況というのが現実です。
私個人的には今までの努力を水の泡にしてしまうことなんて、とても度胸がなくてできません!という感覚。
この記事では実際に私が一生断酒とどのように付き合い、どのような思考でやり過ごしているのかをシェアしたいと思います。
- 一生涯お酒を飲めない(飲まない)という断酒を続けなければならない、そんな私Cocoの思考法をシェアしています。
- アルコール漬けの生活から、自分でアルコール依存症だと診断し、2017年に見事アルコールからの卒業に成功したアラフィフCA(キャビンアテンダント)です!
アルコール依存症は完治しない病気
まずはアルコール依存症についてですが、
一般的には自分で飲む量を調節したり我慢したりすることができなくなる病気
と言われています。
またはお酒の飲み方を自分でコントロールできなくなった状態のこととも言えます。
そしてアルコール依存症がほかの病気とあきらかに違うのは完治しないということです。
そのため一生涯お酒を断ち続けるということが必要になります。
アルコール依存症になったら、断酒一択!
このことがアルコール依存症だと認めることのハードルを上げている一因でもあるのですよね。
お酒大好きの人に「もう一生飲めない」はかなり酷な宣告です。
厳密にはアルコール依存症は寛解(かんかい)ならできます。
「寛解(かんかい)」とは全治とまでは言えないが、症状が治まっておだやかであることをいいます。
アルコール依存症は否認の病
どこからがアルコール依存症なのか、という線引きはとても難しいですよね。
だれでも自分がアルコール依存症だなんて認めたくないですから。
依存症に対する偏見やまちがった認識が影響して、自分自身が依存症だと認めるのは大変な勇気がいることです。そのためアルコール依存症は「否認の病」とも言われています。
一般的には体調を壊して病院にかかり、お医者さまから「あなたはアルコール依存症です」と診断されない限り自主的に認めるのは至難の業です。
ちなみに私の場合は自分で診断しました。
- 隠れてお酒を飲むことがある
- 生活の中でお酒を飲むことの優先順位がいちばん高い
このふたつが当てはまる自分は「もうアウトなんだな、」と自覚しました。
日本だと「アル中」なんて言葉があり、そこから連想されるのはかなり深刻な状況なので、自分はまだまだ大丈夫だと思ってしまうのでしょうね。
WHO(世界保健機関)が定めたアルコール依存症の診断基準の6項目中、3項目以上当てはまると、アルコール依存症と診断されます。
私の場合は「自称アルコール依存症」でしたが、通常アルコール依存症の診断には専門医による診察が必要となります。
私が自称アルコール依存症になった理由
ご参考までに私が自称アルコール依存症になってしまった理由を分析してみましたので、ご紹介します。
遺伝や幼少期からのすりこみ?
私の場合は遺伝もあるのかな、なんてけっこう確信しています。
父がまちがいなく酒乱といった感じの飲み方をするタイプでした。いまはもう高齢なので、そんな飲み方はいっさいしなくなりましたが。
私が幼い頃は会社の飲み会で酔いつぶれて、同僚の方が家まで送ってくださる、なんてことは日常茶飯事でした。
先日もハワイからの帰国便で、到着前の食事でもまだ日本酒を頼んでいました。CAさん的にはかなり迷惑な乗客ですね(泣
父親に似ている私は子どもの頃から「この子は呑んべえになる」なんて言われて育ったので、(理由としては子どもなのにお酒飲みが好むような食べ物を好んでいたため)幼少期からのすりこみ?もあったのかな、なんて。
自分自身で「私はお酒をたくさん飲む人になる!」なんて知らずにマインドコントロールしていたのかも!なんて思います。本当にムダなすりこみだわ。
いま切に思うことは、お酒が飲めない体に生まれたかった!ということです。(かんぺき「たられば」の「ないものねだり」ですが)
また、ひとり暮らし歴が長かったので、だれの目も気にせずに飲酒ができる生活を送っていたというのもあきらかな要因です。
家族がいればさすがに飲み歩いて帰宅は午前様、みたいな機会も自然と少なくなるはずです。
不安を紛らわすため
遺伝とかすりこみとか書きましたが、結局は心の不安定さを紛らわすためにお酒に頼るようになっていった、というのが真相です。
48歳でやっとパートナーと出会うことができた私Cocoですが、それまでの長い独身時代は常に心に不安を抱えて生きていました。
この先ずっとひとりで生きていくことになるかもしれない、そんな不安から逃れるためにお酒を飲み続けていたのだと思います。
「お酒がお友だちなの」なんて痛い発言をしていたのも、これでうなずけますよね(泣
依存症の人がやめるのが困難なのは、快楽をあきらめるのがいやだからではなく、苦痛を和らげてくれるものを手放すのがこわいから、という意見もあります。
一生涯断酒を続けるための思考法
この先一生、断酒を続けなければならない、もう二度とお酒を飲めない!そう考えるとかなりおおごとな気がしてしまいますよね。
お酒大好きな人だったらもう絶望的!みたいな。
ここからは私自身がどんなふうに考えてやり過ごしているのかをシェアしたいと思います。
一段上から眺めている感覚
いまの私はお酒を飲んでいる人たちを一段上から眺めている感覚です。ちょっとかわいそうだな、と勝手に哀れんでいる感じ。
自分は高いレベルの世界に上がることができたんだ!ちょっと優越感!みたいな感覚です。
でもこれは自分で勝手に意図的に錯覚しているだけで、決してお酒を飲むことを否定するとか、そういうことではありません。
お酒自体は悪ではなく、人類が古代からお酒というものを飲んできたということは事実なので、お酒は敬うべきものだと思っています。
断酒はすばらしいのでおすすめはしますが、もちろん強要したりはしません。なぜなら世の中には適量を飲める、お酒とうまく付き合っていける方も存在するからです。
アルコールを自分でコントロールできる人はお酒を飲んでも問題ないのです。
ただ私自身はお酒とはうまく付き合うことができない人だった、ちょっとほかの人とは違うんだ、それだけです。
お酒という存在の否定
これは石田純一氏がタバコをやめるときにおっしゃっていた思考なのですが、タバコはこの世に存在しない、なのでこの世にないものは吸えない、というもの。
なるほどと思いまして、私も真似してこの思考を採用しています。
お酒のことを考えないようにする、お酒の存在を無視する、から発展して、
お酒というものはこの世に存在しない、と考えています。
存在否定がいちばん有効ですね。
お酒の存在を忘れて生活する、意識しない、気づいたらこのレベルにまで到達していました。
さいごに
アルコール依存症は完治しない、一生涯断酒という現実について見てきました。
さいごに一生断酒するための私の思考方法をまとめておきます。
- お酒のことは意識しない
- お酒はこの世に存在しない(と思い込む)
- お酒の存在を無視する
- お酒を飲んでいる人たちと自分は次元が違うと錯覚する
- 自分は上のレベルに到達できたと勝手に思い込む
- 「もう飲めない」ではなく「もう飲まなくていい」と考える
この先一生お酒を飲むことができない、そう考えてしまうとかなりハードルが高くなってしまうのが断酒の難しいところです。
でもこれも考え方次第です。
逆に言えば、もうお酒を飲まなくてもいいんだ、そう考えることもできます。
飲むことができないのではなく、もう飲まなくていいんだ!
あんなに寝ても覚めても考えていたお酒のことをもう考えなくていいんだ!
そう考えるとかなり気持ちが楽になったりしませんか?
お酒の呪縛からの解放!みたいな。
この記事を読んだあなたの「一生断酒」のハードルが、少しでも下がってくれればうれしいです。
最後にマインドコントロールに有効な一冊「禁酒セラピー」をご紹介しておきます。
それでは、また♡
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